コスモス・システムズ Episode01 第8章



 北村梓には、何が起きたのか理解できなかった。確か、アリアを助けに森の奥へと行って、
そのまま、自分の体が何メートルも吹き飛ばされた。その時に見えた、森の木々の上に見えた
空。それが最後の記憶だった。
 どうなってしまったのか、自分は死んでしまったのだろうか。全身の感覚がない。全く何もな
い。
 死んでしまったのだろうか。梓はまずそう考えた。だが不思議だ。真っ暗な視界に何か、光が
差し込んでこようとしている。
 彼女が今まで夢でも見たことがないような光景だった。一体、自分に何が起きているというの
だろう?
 光の向こう側から声が聞こえてくるような気がした。その声は何かを言っている。自分の名
前、自分の名前を呼んでいるのだ。
「梓、梓、あなたの名前は北村梓…」
 その声はだんだんとはっきりと、明瞭に聞こえるようになってきていた。
 しかし不思議だ。その声は、電子音のような声にも聞こえる。ちょうど、電話越しに話している
かのように。
 何が起きているのかわからないが、とりあえず梓は、心に思うようにして問いかけて見ること
にした。
「ええ、そうよ。あなたはだれだって言うの?これは夢なの?」
 夢に対して、夢なのかと聞くのは、愚問とも言えたが、それしか尋ねる質問が思い浮かばな
かったのだから仕方がない。
 すると、梓の問いに声は返ってきた。女の声だった。
「夢、じゃあないわ。まあ、感覚は似ているけれども、これは夢じゃあない。あなたと私は接続し
ている。今まで、ずっと隠していたけれども、あなたは接続できるの」
 この相手は何を言っているのだ?女は不思議な言葉を使う。
 接続とは、コンピュータがネットに繋がるような、そのような事を言っているのか?一体、それ
はどういうことなのだろう。
「さっぱりわからないわ。娘は、ティッドは無事なの?それを私は知りたい。私は死んだの?こ
こはどこなのよ」
 そう尋ねた。すると女のほうは、少し笑ったらしく、その声が聞こえた。それが、自然な印象の
声に聞こえた。
 夢にしてはあまりにも現実感がありすぎた。すると女は次々と言葉を続けて来る。
「質問は、1つずつだってばさあ、北村梓。だから1つずつ答えるわ。
 最初に、あなたは死んでいない。とっても暴力的な行動で、本当に謝るしか無いけれども、あ
なたは死んでいないし、大怪我もすぐに治る。
 2つ目、あなたのお嬢さんのアリアも、旦那さんのティッドも生きているし、怪我もしていない。
 3つ目、あなたは質問する気もないようだけれども、私の名前はヒメコ。姫に、子の字よ」
 そういえば、まだ朦朧とした意識であったために、梓にはすぐには反応できなかったが、その
声は、梓の極東系の母国語だった。
 ヒメコ、その名も、極東系の名前だ。今日は随分と極東系の人間と関わりがあるような気がし
た。
一体、自分に何が起きているのか、それが分からない。
「何の用事よ。とっとと家に帰りたいのよ、私は」
 梓は心の中でそう思って、それを言った。
「駄目ね。あなたの身体は、今『連邦軍』、つまりは『N-WNUA軍』に拘束されていると行っても
いい。軍の連中は、困ったことにあなたに興味を持ってしまったの」
「何のことだか、さっぱり分からないわ。それと、あなた、話し方や声を聴いて分かるんだけど、
私の娘のアリアと同じくらいの年頃の子ね?わざと難しい言葉を使っているように思える」
 すると、その女、ヒメコと名乗った少女はまたくすっと笑った。その仕草が、まだ幼い娘である
ことが分かる。
「まあ、それはいいとして、あなたの身体、普通の人間とは違うのよ。だからこうやって接続す
る事ができる」
 ヒメコは梓に更にそのように言ってきた。
 彼女は何を言っているのか、梓には分からなかった。
「何、言ってんのよ。私は普通の女よ。子供だっているのよ。それと、接続だなんて、わけがわ
からない」
「いいから、目をさますように今、アップロードしてあげるから。大事なところは、スマート金属で
補強できる」
 とにかく今は、彼女にとってできることが、そのまま目を覚ますしかないという事だった。不思
議だった。目覚めようと思ったら、すっと目覚めることができてしまった。まるで、コンピュータが
すぐに起動するかのように。
 梓は目を覚ました。ここはどこだ?彼女はベッドというよりも、あたかも、手術室のような所に
寝かされていた。
 自分は何かをされている。そのことにすぐに梓は感づいた。思わず身構える。しかも、何も着
ていない。
 しかし恥じらいなどよりも、梓は、痛々しい怪我をしている自分に気がつく。
「嘘、でしょ…。何よ、何なのよ。これは…」
 眼の前にあった自分の体に彼女は、思わずそう口走っていた。いや、そう口走るしか無い。
 左足の皮膚がむき出しになり、そこから、あたかもロボットであるかのような金属の骨格が露
になっている。
 ところどころ、体の皮膚が破れているというのに、痛みがほとんどない。むき出しになってい
るという事だけが分かる。
「な、何なのよ、これは!」
「おい、目を覚ましているぞ!」
「麻酔で眠らせるんだ!」
 思わず戸惑い、声を上げる梓。そのように言ってきたのは、手術室にいる医師たちのような
姿だった。
「これは、何なのよ!」
 梓は自分の両手の平を広げても、同様に叫んだ。ところどころ皮膚に裂傷が走っているが、
そこからも、金属の輝きが覗いている。
 しかもそこに、自分自身の感覚がある。普段、最も動かしている自分の部位だからすぐに分
かった。
 その金属が自分自身のものであるということを。
「どうして目覚めたんだ?麻酔が弱すぎたのか?」
「すぐに眠らせるんだ」
 医師たちらしき人物が口々に言ってくる。
「あんた達、一体、私に何を…!」
(動揺しないで。というのが、無理だったようね)
「な、何言っているのよ、あなたは…!」
 少女の声が、頭のなかに響いてくる。この頭に響くものは何なのだ?自分の意志とは関係な
く聞こえてくる。
 目の前の医師たちが、自分を押さえつけようとしてきている。
(その部屋から脱出して!すぐによ、家に帰りたいんだったらね!)
 少女の声、ヒメコの声が響いてきた。
 すると、梓は、思い切って目の前の医師たちの身体を押しのけた。すると彼らは、何かに吹
き飛ばされたかのごとく、ベッドからはねのけられる。彼女は素早く台の上から飛び降りた。
 梓は、医師たちの間をかき分けた。そして、扉を塞ごうとしてきた屈強な軍人にタックルをし
かけた。
 まるで巨大な何かにぶつかったかのように、その軍人は部屋の両開き扉を吹き飛ばして外
へと飛び出していってしまう。
 両開き扉が粉砕されている。自分は、特に屈強な女ではないというのに。ただの子持ちの女
だ。
「何よ、これ…」
 肌もあらわな自分の姿さえも忘れて、梓は唖然としてしまっていた。
(いいから、逃げなさい。着るものと必要なものは、後からでも手に入るから!)
 梓は病室から飛び出し、走り出していた。
「分かったけど。どういう事かさっぱり分からないわ?私は怪我をして、それで、何か処置をさ
れていたの?これは、ギブスか何かで…」
 走りだしながら、ヒメコに話しかける梓。めまぐるしく何かが起きている。それは、自分の理解
をはるかに超えた何かだ。
(いいから、私が指示する通りに動いて)
 ヒメコは梓にそう言ってきた。この少女は一体何者なのだ?それに、自分は一体。この身体
はどうなってしまっているのだ?

 同じ時、アーサーは、ティッド・シモンズの尋問を中断し、続いて捕らえたあの極東系の男の
尋問へと赴こうとしていた。
 そんな彼の耳に、激しい勢いで、基地の警報音が鳴り響く。次いで、赤色灯が点滅した。
(非常事態発生!非常事態発生!医療処置室で非常事態発生!)
 何だと!そう思ったアーサーは、すぐに光学画面を表示させて、基地の防衛システムにアク
セスした。
 すると、そこには、あの北村梓を処置していた医師たちが、まるで何かに襲われたかのよう
に、医療室で倒れており、頑丈な扉さえも吹き飛ばされているのが見えた。
 そして、あの北村梓はどこへと行ったのだ?
「少佐。非常事態です!」
「ああ、分かっている。北村梓はどこに行った?」
 そう問いかける。
「防犯カメラの映像に映っています。いえ、それが…、今、消えました。反応が…?」
「何を言っている?防犯カメラの映像が見えないだと?外部からの干渉が?」
 アーサーは部下の見ている光学画面を引っ張った。すると、どこの監視カメラにも、北村梓の
姿が映っていない。更に、少し画面にノイズが入っている。電波干渉が起きている時のサイン
だった。
「非常事態だ。何者かにこの基地が“干渉”されている。非常警戒態勢を取るように指示を出
せ!」
 アーサーは即座に判断してそう言い放った。しかし分からないことだらけでもある。何者がこ
んな事を仕掛けているのだ。
 もしや『解放軍』か?だが一体何故?そもそもこの基地の防備は万全のはずだ。北村梓と何
か関係がある。彼女をどこへもいかせるわけにはいかない。

 梓は、何が起きているのか分からなかった。とにかく今はやり過ごすしかない。頭を回転させ
て素早く動く。恐らくここは連邦軍の軍事施設だろう。医療施設にしては軍人の姿が多すぎる。
 何も着ていないが仕方がない。だが、傷口から覗く金属の姿があまりに不気味だった。これ
がほんとうに自分の体なのか?
(足首にバンドがはまっているでしょう?それ、あなたを逃さないための発信機だから、そのま
ま引きちぎって)
 頭のなかに聞いてくる声。通信しているというのか。ヒメコと名乗る少女らしい人物からの通
信だ。
 だが、梓は頭の中を整理するのでやっとだった。どうやら頭は生身のままのようだが。
(早くやんなさいよ。家族の元へと帰りたくはないの?)
 そのようにヒメコは急かしてくる。ようやく戻りつつあった梓の感情を逆撫でした。
「よく言うわ!あなた何者だってのよ?きちんと考えられる状況だとでも思う!」
 頭のなかでそのように少女を一喝したつもりだった。果たして相手に伝わったのだろうか。
 少しの間の後、少女は再び話してくる。
(いいわ。それだけの気概があるなら、わたし達の元にもすぐに来れそうね。とりあえず、あな
たは今、追われている。そのままの状況では、旦那さんとも娘さんとも合流できないわ)
 わたし達の元?合流?まるで何かの計画を立てているかのような言葉に梓は気がついてい
た。
(どうするのよ。衣服も無いまま逃げるっていうの?)
 と、梓は通信した。
(ただ闇雲にあなたを逃していたわけではないわ。あなたの背後にある扉は、備品倉庫になっ
ている。監視カメラにあなたの姿は映っていない状況だから、すぐに逃げこみなさい)
 梓は備品倉庫に入るなり、素早くそこに並べられている軍服をひっつかんで、それに着替え
だした。ここは軍の基地のようだから、これで姿を眩ませる。というのは無理があるかもしれな
いが、何も着ていないよりはましだった。
 服を着替えている時、自分の傷がだんだんと塞がっていくのが気が付く。不気味なほどはっ
きりとその修復が分かる。そしてその傷口の奥の金属の部分も。
「あなた。これが何なのか?説明してくれないの?何故、私はただの主婦なのに、こんな身体
になっているの?」
 ほとんど服も着こみ終わった梓が言った。
 服さえ着てしまえば、普通の人間と変わらないだろう。鏡で自分の姿を見たわけではなかっ
たが。
「そうね、確かにそれは疑問かもしれないけれども、今はただ、脱出することを考えて。あなた
のその身体は、脳と脊髄以外はスマート金属と皮膚、人工臓器や人工機器でできている。そ
れだけ受け入れて」
 受け入れるですって。全く。この娘は簡単に難しいことを平気で言ってくるものだ。梓は不快
感さえ覚えていた。自分の体に起きたこの奇妙な現象に、すぐに慣れろという方がまず無理だ
というのに。この娘はそれを言ってくる。
「とりあえず、脱出のための装備を手に入れて。そこに並んでいるもの、私が指示するものを
…」
 そのようにヒメコは言ってきたが、視界の中に入ってきたものにためらいを感じる。無骨な骨
組みの棚の上、そこに並んでいたのはズラリと並んだ銃だった。
「ちょっと、どういうつもり。脱出するだけでしょう?」
 あくまでも梓はただの女。そう思っていた。今までもそう思って生活をしてきていた。だが、こ
の目の前に並んでいる銃は、そんな日常生活を、平和を一瞬で打ち砕くことができる力をもの
を持っている。
 引き金を引いて、人の命を簡単に奪うことができる。
 そんなもの、梓は手にしたこともなかったし、手にしたくもなかった。
「ふざけないで」
 梓がヒメコに向かって発した言葉だった。
(威嚇射撃って知っている?言っておくけれども、ここの基地を封鎖しているのは、プロの軍人
ばかりよ。銃無しで逃げられるなんて思わないで。安心してよ、わたしだって人殺しをさせるつ
もりなんて無い)
 ヒメコは、まるで梓がそう答える事を知っているかのように言ってきた。
「ええそうよ。私はどんな状況になっても、人殺しはしないわよ」
(じゃあそれを手にとって。ホルスターもね。二丁で十分でしょう。一丁は予備でホルスターに収
めて。もう一丁は、安全装置を外して抜き身で持つのよ。弾倉に弾があるか確認して)
 指示通りに梓は動いていた。まるで映画でやっているかのように、銃のグリップの中に弾が
あるのを確認する。カートリッジのスリットから見える弾におもわずどきりとした。
 再びそれを銃の中に納める。安全装置をかちりと外して、スライドを引き、元に戻した。これ
で、いつでも弾を発射することができる。
 銃。無骨な装具であるかのような、この重い鉄の固まりを握りしめ、梓はじっと息をととのえ
た。夫と娘の姿を思い浮かべる。それさえ、思い浮かべれば気持ちが落ち着く。
(行きなさい。今なら前の通路は隙だらけよ)
「大丈夫。私は大丈夫…」
 梓は自分自身にそう言い聞かせていた。彼女は、通路の外へと飛び出していった。
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Ep#.02 「第三勢力」




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