コスモス・システムズ Episode02 第1章



 巨大なヘッドセットを頭へと取り付けている少女は、今、世界の遠く離れた所で起きている騒
乱とはよそに、世界のどこよりも静かな所で事の成り行きを見守っていた。
 彼女は梓にヒメコと名乗った。それは自分に付けられた名前で間違いない。偽名を使うつも
りも何もなかった。ただ、彼女をうまく導くためには、素性はある程度隠しておかなければなら
ない。
 彼女は果たして、夫と娘たちと共にこの地までやってくることができるだろうか。
「あの人、人を傷つけたくない。銃を持ちたくない様子ね」
 ヒメコはそのように言っていた。独り言ではなく、同じ部屋にいる人物、彼女の執事で秘書の
ような存在の、長身でスキンヘッドの男性に言ったのだ。
「それが、一般的な考えというものです。誰かを傷つけたいという考えは、平和に暮らしている
者達は思ったりしません」
 そのヒメコの秘書はそう言ってきた。確かにそうなのだろう。閉鎖された世界で生きてきて、
少し普通の感覚から離れてしまっているヒメコにとっては、人の感情というものを軽視しすぎて
いるのかもしれない。
 だから、さっきも梓に諌められたのだ。まるで母親にされるかのように。
「人の命って、大切にしなきゃあいけないわよね。これからあの人を、様々な事に巻き込むかも
しれないけれども、命だけは奪わせないようにしたいわ」
 そう言いながらヒメコはヘッドセットから頭を少し離して、眼に手をやる。光学画面を長時間見
ていると、たとえそれが目にやさしいといわれるものであっても、かなりの負担がかかってしまう
のだ。
 特にヒメコのようにまだ幼い体であると、その負担もかなりのものとなる。
 また、今、ヒメコ達が置かれている状況。精神的にも負担がかかる。もし一手でも作戦を誤っ
てしまえば、人を殺めてしまう可能性もあるからだ。
「何よりも大切なのは人の心。人の意志。それを奪わないこと」
 ヒメコは自分に言い聞かせるかのようにそう言った。
「ええ、それが私たちの主義ですから」
 それに呼応するように執事は言ってきた。
 再びヘッドセットを装着するヒメコ。今彼女がしなければならない事。その使命は、北村梓を
正しく導くということ。
 そのために彼女は動く。


『南アフリカ国防軍』西ケープ州陸軍駐屯基地
《ケープ・タウン》から150km
6月25日 6:43 P.M.


「北村梓は?まだ捕らえられんのか?」
 軍基地の警備室に駆け込んだアーサー。そこでも非常灯で照らされ、十人ほどの基地警備
担当の兵士たちが数多くの光学画面を前にしていた。殺風景な警備室に、幾つもの光学画面
が並んでいる姿は、どこか物々しい。基地内の警備情報のすべてがここにやってきているの
だ。
「基地内から逃走されたら事だぞ」
 苛立った声でアーサーは言っていた。彼女がただの人間ではないことが分かっていた以上、
もう決して逃がす訳にはいかない。
 あのような存在が夜に放たれれば、何が起こるかも分かったものではないのだ。必ずや捕ら
えなければならない。
 しかし、そんな彼女は先程から、姿を消している。まだ警報が鳴って10分ほどしか経っていな
いのだが、この厳重な警備システムの中、どうやって身を隠しているというのだ。
「監視カメラだけではなく、赤外線スキャン、屋外のカメラにも痕跡はありません。最後に彼女
の反応があったのは、処置室から飛び出した直後です」
 一つのカメラが処置室から飛び出してくる瞬間の梓の姿を捉えている。その映像をアーサー
を見ていた。
 大柄な、あたかも大木であるかのような兵士達をなぎ倒し、扉を突き破って、外へと出た。
「そしてこれが、その直後の廊下側の監視カメラです」
 新しい光学画面は、廊下側を写すが、そこでは北村梓の姿が映っていない。いつの間にか、
突き破った扉の先から梓が消えている。
「彼女が飛び出した瞬間の映像は?」
「消えているようです。削除されています」
 アーサーの言葉にすぐに警備兵は言ってきた。
「削除されている?」
 じっとその警備兵を見つめてアーサーは言う。
「ええファイヤーウォールにも侵入の痕跡はありませんが、削除されているのです。まるで、誰
かがうまく切り貼りしたかのように」
 それでアーサーは納得した。
「なるほど、“干渉”されたという事か…。監視カメラの映像から彼女を隠す事はできるが、処置
室で起きた映像までは消すことができなかった。消せば、実際に起きた出来事に矛盾が生じ
る。だが、“干渉”されたという事実はこれで判明したようだ」
 そうアーサーは自分に聴かせるかのようにそう言った。そしてすぐに判断する。
「基地の警戒レベルを最大にしろ。ファイヤーウォールを強化し、最大の警戒態勢で“干渉”さ
れないようにするのだ!」
 その場にいる者達に命令を下すアーサー。
「基地内の全兵士を出動。基地への出入りは、何者もできないようにしろ」
「最大の警戒レベルですか?」
 まるで怖気づいたかのように言う警備兵だったが、
「この基地はまるで無防備になっているということだ。何者か知らんが、本国に連絡!“干渉”し
てきている者達と正体を突き止めるように要請しろ。衛星データなど全て洗いなおして、“干渉”
に備えろ」
 そうアーサーは命じた。もし“干渉”されたなら、軍の情報機器はもちろんのことながら、兵器
類でさえ操作される危険性がある。
 軍や政府、企業のファイヤーウォールを通り抜けて“干渉”することが可能と分かってから、
世界中のテロリストが常に軍の兵器や機密を狙っている。それに対しては何重にも障壁をつく
ることでしか、対処をすることができない。
 しかし、“干渉”の本来の意味は、そのファイヤーウォールを突破されても、痕跡を残さないと
いうことだ。
 “干渉”された時には、すでに敵の攻撃が始まっているも同然である。アーサーは訓練を何度
も受け、この“干渉”に対しての対策を知っている。だが、それもほとんどが付け焼刃のようなも
のだ。
 具体的には、今、情報操作を行おうとしている者達を直接突き止めて、行為をやめさせるし
か無い。
 基地は厳戒態勢に陥った。アーサーはすぐさま本国へと連絡を取ろうとする。
「将軍?カイテル将軍?只今、こちらの部隊に“干渉”がありました。現在、総力をあたって対
応を」
(具体的な被害は?)
 カイテル将軍はすぐにそう答えてくる。アーサーが来る前にすぐに連絡がいっていたからだ。
“干渉”はとにかく即座に対応しなければならない。
「今のところ、監視カメラの映像だけです。ある人物、北村梓という一般人が処置室から逃走し
たところを…」
(北村梓?)
 カイテル将軍は疑問を持った声でそう尋ねてきた。

 その頃、基地の廊下の一角に潜んでいた梓は、警報が鳴り響き、せわしなく軍の軍人達が
走り回っている様子を見ていた。
 ちらりと梓は、通路の自分の目の先にある監視カメラを見る、じっとこちらを向いている監視
カメラだ。
 彼女は今、物陰に隠れているが、明らかに監視カメラには写っているはず。
(本当に、今、私は映っていないの?あのカメラに?)
 梓は心の中でそうヒメコに尋ねる。電話で会話をするのはともかくとしても、こんな方法ではま
だ慣れない。
(“干渉”っていう言葉を知らない?情報機器の中に侵入して、何事も起きていないかのように
するの。今の世の中、人はコンピュータに頼り切りで生きているようなものだからね。簡単に幻
に引っかかるのよ)
 まるで容易く、手の中で弄ぶことを言うかのように、ヒメコは言ってきていた。
(あなたも人のことを言えないでしょ?ともかくよ、今、あの監視カメラには、私の姿は映ってい
ない。そう考えればいいのよね?)
 そう梓はヒメコに言う。
(その通りよ、物分かりが良くて助かるわ。今、あなたの元へと基地の図面を送る。道中のカメ
ラには全てあなたは映らないように“干渉”できるけれども、本当は見えているんだからね。騙
せるのは機械だけよ)
 念を押してくるかのように言うヒメコ。
(分かったわよ。でも、私はあなたの友達じゃあないの。年下の、それこそ私の娘くらいの子に
偉そうに指示をされて、不快にならない大人はいないわ)
 そう言って、梓も念を押すのだった。
(なるほど、大人ね)
(そう大人よ)
 梓はヒメコの言葉に呼応し、そのまま、自分の目でも周囲の様子を伺った。
 とりあえず、この通路には誰もいない。ここはどこだろうか、軍の基地のどこなのか。梓は素
早く物陰から身を出して、ゆっくりと、身長に通路を進み始めた。
 と、通路を進んでいく時、梓は自分の視界の右下のあたりに、赤いランプが点灯したのを見
た。何か、警報機でもあるのかと思ったが、それは、目線の先にあるものではなく、彼女の視
界自身にあるものだった。
 さらに彼女の視界は、コンピュータ画面であるかのように、グリット線やウィンドウまで出現す
る。
「何なのよ。これは…」
 梓は自分の前で起きていることがわからない。彼女が見ているものは、まさしくコンピュータ
画面そのものだった。それが目の視界の中に入っている。
(あなたの身体はほとんどが人工素材でできている。だから視界にもそうした措置がなされて
いるのよ。脳に埋め込まれたコンピュータチップと連動して、画面を見やすくするためにね。
「目の中に何か埋め込まれているっていうの…?」
 通路を慎重に進みながら、梓はそう言った。
(目の中にではなく、視神経にね。心配はいらないわ。大した大きさの装置が入っているわけじ
ゃあないから)
 と、ヒメコは言ってくるが、
「便利なのか、何なのかも分からないようなものよ。全く、私に一体、いつの間にこんなものが」
 その時、梓の視界の画面が赤い色を示す。それが警戒色であるという事は、彼女にもすぐに
分かった。
 梓の今の視界は、壁の先を透過してみる事ができている。もちろん、それは完全な姿で見え
ているのではなく、グリッド線などで構成された、ただの枠のようなものでしかないが、そこに人
が迫ってきているという事は分かった。
(前方の通路から兵士が二人曲がってくるわ。急いで、そこの部屋に入って!)
 ヒメコはそう言ってくる。梓もそれをすでに理解していた。だが、すぐ側の部屋の扉のノブに
は、赤いサインで、“ロック”と画面が表示されている。
「鍵が!」
 梓はドアノブを回しつつ言った。
(今、開けるわ)
 次いで、グリーンのカラーに表示が変わり、“アンロック”となった。梓はそれを確認して素早く
部屋の中に入った。
 部屋の中は暗い。照明が落とされている。だが、梓の視界の画面はまだ作動しており、部屋
の間取りや、机や椅子の位置など、正確にラインで表示がされている。
(すぐ次の通路に移って。あなたが、そのエリアにいるということは分かっているから、多くの兵
士が来ているわよ)
 そのようにヒメコは急かしてくるのだが。
 梓はふらつきながら、その場にあった机に手をついた。表示の線が示しているように、そこに
は確かに同じ形の机がある。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ちなさいよ。いきなりこんなことが次々とあって、頭がついていくわけ
がないでしょ…。今見ているこの視界だって、まるで酔ってしまいそうよ。一体何なの?私はど
うなってしまったの?何か、改造をされてしまったの?」
 梓はそう言いながら、その場に膝を付きそうになった。
 ヒメコは急かしてくるのだろうか、そう思っていたが、少し呼吸を整える時間を待ってくれてい
る。
「何か、説明しなさいよ」
 と、梓はヒメコに言った。
(飛行機事故があったのよ。あなたは、その時に死んだ。その時に身体を生きながらえるよう
に改造して、そうなったの)
 飛行機事故?身体を生きながらえる?この娘は一体何を言っているんだ?梓は、この『東ア
トランダ共和国』にやってきた時に飛行機に乗って渡ってきていらい、小型機も何も飛行機に
乗ったことはない。せいぜい夫の運転するトラック程度しか乗り物に乗っていない。
「何の事を言っているのか、分からないわ。私は、つい数時間くらいまえまで普通に生活をして
いたのよ。子供だっている。いつの間にこんな事になっているっていうのよ」
 そう梓は言った。
(これだけは言っておく。あなたはずっと前からその身体で生活をしている。ただ、ここ数年間
それに気が付くことがなかったというだけ。とにかく、今は細かなことまで説明している時間がな
いの。とにかく受け入れてもらうしか無いわ)
 だが、梓は言い放つ。
「ふざけるのもいい加減にしなさいよ、こんな身体になって、一体、どうやって受け入れろってい
うのよ…!」
 梓は苦虫を噛み潰すかのような思いだったが、すぐに動かなければならない事も分かってい
た。机に手をつき、その場を立ち上がる。まだ目が慣れていない。だが、この部屋にどのような
形のものが置かれているのかが、光のラインで表示されている。
 視界は真っ暗でも、梓の視界内にははっきりと、データが表示されていた。現在時刻やら何
かのメーター。まるでコンピュータの画面そのものだ。
「この奥の通路の方に人はいるの?」
 暗い部屋のもう一つの扉のすぐ側に立ち、梓は尋ねた。
(あなた。見えているんでしょう?壁を透かして見ることができる機能を使ってよ)
 馴れ馴れしい子だ。アリアを見習って欲しいと思う。喋り方からして、多分、頭はいいんだろ
う。だが、大人を手玉に取っているようなその態度は、梓からしてみれば、生意気な事この上
ない。
(自分でこの機能をはっきりと使いたいという意志があれば、それを使えるわ。フォルダーを開
いて地図を出すのよ)
 だが、この娘の言うことに今は従うしかない。ティッドとアリアと再会して、二人と共に脱出す
る。それだけ梓は考えるようにした。
 今、この通路の向こう側には誰もいない。自分の体が、こんなにおかしくなっているのは、何
のせいか、何のためか、これから自分はどうやって生きていったら良いのか、そういった事は
後から考えるようにしよう。
(ちょっと、何をしているのよ?)
 ヒメコは言ってくるが、梓は慣れないながらも、自分に送られてきたという、この基地の見取り
図を動かし、部屋を探した。
 だがどうということはない。この自分の頭か神経か、どこかに組み込まれている装置は、自分
の思い通りに動かせる。
 だから、ヒメコから送られてきた、このデータをどのように操ろうと、それは自分自身の意志で
することができるのだ。
 梓は、ティッドとアリアのいる場所を探そうとした。軍のデータにアクセスすれば分かる。
(勝手にそんなところまで検索して!痕跡を消すのが間に合わないわ!)
「あんた達は、何をしたいってのよ。私の目的は一つだってことくらい、分かってんでしょ」
 そう言い放つなり、梓は構わず検索を続けた。
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