レッド・メモリアル Episode06 第6章



4月10日
6:11 A.M.
『ジュール帝国』 《ボルベルブイリ》から200kmの地点



 シャーリは、アリエルを独房に閉じ込めた後、再び、手術室のある方へと向かった。
 切り裂かれた、自分の上着と、その下に着こんでいるシャツを触ってみると、鋭利な刃物で切
り裂かれたようにぱっくりと切り開かれている。
 多分、普通の人間だったら、かなり深い傷になっているだろう。
 だが、たぶん、致命傷にはなっていない。
 アリエルは、自分を殺すつもりではなかったのだ。
 それを知ると、シャーリは思わず笑みを浮かべずにはいられなかった。
 アリエルは施設内にある手術室の扉を開き、その中に入る。
 ここは、長年使われていなかった地下倉庫だったが、最近、大幅に改築され、手術室として
も、独房としても、また、武装組織の拠点としても使う事ができた。
 ある人物が、元々、こうした施設として使えるよう秘密裏に建設させた施設なのだ。
「どう?彼女の調子は?」
 アリエルは、手術室内で白衣を着ている医師にいきなり尋ねた。
 彼女自身は、白衣も手袋も付けていないため、ガラスの窓越しで無菌状態の手術室内に尋
ねた。
「今、大事なところだ。話かけないことだな」
 と、手術室内にいる別の医師が答えた。
 シャーリはむっと来つつも、黙って手術室内を見守る事にした。
 手術室の中では、一人の女が、手術台の上で寝かされている。それはアリエルの養母のミッ
シェルで、頭に電極のようなものを装着されている。
 電極からは、糸のようなものが2本出されていて、それを医師は巧みに操っていた。
 シャーリは、その糸のようなものの正体を知っていた。糸は、正しくは糸ではない。
 糸は非常に細い針になっている。丁度、針灸で使う糸と同じように、細い針になっているの
だ。
 針には更に電極が取り付けられていて、微細な電流を流す事が出来る。
 ミッシェルの頭に接続されている電極は、彼女の頭骨に開けられた穴を安定させるもので、
電極を脳の中へと通す案内にもなっている。
 まったく同じ事を、アリエルにもやってやったのだ。
 脳のある部分に電気的な刺激を与えると、『能力』を過剰に引き出す事が出来ると言うが、そ
れはお父様の研究によるものだ。
 他のどこの組織にも知られていない技術を、自分達はする事が出来る。
 『能力者』の持つ『能力』を過剰に引き出す事が出来れば、それは重要な戦力になるだろう。
 たとえその相手が、あのアリエルや、その養母のミッシェルであっても同じ事だ。
 アリエルを始末することができないのは不満だったが、これで無事、アリエルと、彼女の養母
をお父様のもとへと連れて行く事が出来る。
 そう思ったシャーリは微笑を浮かべずにはいられなかった。
 これで、お父様にまた褒めて頂く事が出来る。



 数時間後。アリエルの養母である、ミッシェル・ロックハートはその目を覚ました。
 彼女は、アリエルと同じように頭に包帯を巻かれており、アリエルよりもずっと疲弊しきってい
た。
 彼女が目を覚ました時、疲弊した彼女が目の前にシャーリの姿を見て、一体どのように思っ
たのだろう。
 だが、ミッシェルはすぐに意識もはっきりとしてきたようだった。
 手術台の無菌状態から解放された彼女は、今では、シャーリ達のアジトに設けられた一室に
寝かされていた。
「あなたは、一体私に何をしたの?」
 ミッシェルは頭を押さえつつ、シャーリに言ってきた。アリエルと全く同じ質問だ。血の繋がっ
ていない親子のくせに、昔から二人はどこか似ている。
「さあ、わたしはお父様に言われてやっただけだから」
 だが、ミッシェルはアリエルよりもずっと、シャーリの父の事を知っているようだった。
「あなた、それがどういう事か分かっているの?」
 ミッシェルは頭を抱えてそう言った。
「いえ、あなたがさっきまでした事を考えれば、分かっているって言う事よね」
 シャーリはミッシェルがそう言った言葉を遮って、シャーリはミッシェルの頭に巻かれている包
帯を抜き取り始めた。
「あらあら、思った通り、随分と治りが早いのね。普通だったら傷がふさがるまで結構時間がか
かるのに」
 シャーリはわざとらしく自分の言葉を、妖しくしてみせた。
 アリエルだけじゃあ無く、幼い頃から知っている、ミッシェルおばさんに、自分の成長を見せつ
けてやるのだ。
 だが、ミッシェルはシャーリを見ても、恐れるような姿を見せなかった。
「あなたは、わたし達を捕えて、一体何をしたいって言うのよ」
 ミッシェルの頭の傷は、治っているようだったが、かなり疲弊している。
 無理もない。あの手術をすると、若くても体が相当疲弊するのに、ミッシェルは50代なのだか
ら。
「お父様が望んでいるからよ。お父様が、あなたとアリエルを望んでいるの。だから、私の顔を
蹴ったような奴は普通、殺してあげるんだけれども、生かしてあげるの」
 と、シャーリは言いかけるが、
「あなた達組織が、何をしているのか分からないけれども、あなたは自分のしている事をもっと
考えるべきね。お父様、お父様って、さっきからうるさいわよ。
 明確な証拠はまだ掴んでいないけれども、あなたのお父さんというのは」
 その言葉が、シャーリの癪に触った。
「お父様を愚弄するな!ジュール人め!」
 シャーリはショットガンを抜き取り、それをミッシェルへと向けた。
「そんな銃を向けて、一体、私をどうするっていうの?殺すの?あなたの“お父様”に顔向けが
できなくなるんじゃあないの?」
 と、ミッシェルが言うと、シャーリはその目の色を変えた。今まで妖しい顔を作っていたシャー
リだったが、今度は感情をむき出しにしてミッシェルの寝かされているベッドの上に立ち、ショッ
トガンを構える。
 彼女の片方の顔を隠している髪が揺れ動き、左の眼に深々と入った傷が見てとれる。
 だがシャーリはそんな事も気にせず、
「このわたしに向かって偉そうにほざくな!もう一度、お父様を愚弄してみろ!」
 そう言い放ったが、ミッシェルは少しもおびえていない。あのアリエルは怯えるはずだったが、
 このミッシェルは、確か軍人だと言っていた。しかも将軍職だと。
 シャーリは、ミッシェルが、『帝国軍』の将軍職を務めていたと聞かされて、てっきりそれは実
戦とは無縁の制服組だと思っていたが、
 昨日の戦いぶりと言い、この動じない姿と言い、どうやらミッシェルは、只者ではないらしい。
 お父様も、ただの人間は欲しがらないだろう。シャーリは納得していた。
「あなた、ずいぶん、“お父様”に対して盲目的になっているようだけれども、自分で考えるって
いう事をした事はあるの?」
 と、ミッシェルは尋ねてくる。
「まあ、いいわ。どうせ、あなたはお父様の糧になるだけなんだもの」
 そう言って、シャーリはベッドから降りる。
「娘に会わせてもらうわよ」
 ミッシェルがベッドの上から言ってきた。ショットガンを片手に恐れもしない彼女の口調は、ま
るでミッシェルの方が優位に立っているかのようである。
「うるさいな!自分が置かれている立場を分かっておけ!」
 ミッシェルの態度に苛立ったシャーリは、彼女へとショットガンの銃口を向けて言い放つ。これ
以上彼女の優位に立たれてたまるか。そう思ったのだ。
「待ちなさい。シャーリ。あなた、一体、何があったっていうの?一体、なぜ、こんな事をしている
の?」
 部屋を出て行こうとするシャーリの背後から、ミッシェルがそのように言ってくるが、シャーリ
は聞く耳を持たなかった。
 正確には、彼女の耳はすでに塞がっており、誰からの問いかけも受け付けようとはしていな
かったのだ。



チェルノ記念病院



「お電話が入っておりますが」
 常に自分の横に置いている秘書がそのように言うと、彼は震える手で、ベッドのテーブルの
上に置いてある電話機を手に取った。
 イヤホン式の電話機を耳に装着するだけでも、相当に難儀な作業になってきてしまってい
る。
 これ以上、病状が悪化したら、一体、どうなってしまうのか。
 彼は、病状が悪化した場合の自分の姿を想像することはできたが、それはどのように想像し
ても、悲劇的な結末でしかなかった。
 だが、この電話機にかかってくる相手が誰なのか、それぐらいは分かる。
 わが愛する娘からの電話であるという事は、良く知っている事だった。
 それぐらいを考える思考がまだ残されていた。
 病状が幾ら悪化していっても、彼の思考回路だけは正常に働いていた。むしろ、今までよりも
ずっと活性している。
 もう後先が短い事が、彼の思考に焦りの加速を加えているのかもしれない。
(お父様。シャーリです。ご容態はいかがでしょうか?)
 愛する娘、シャーリが言ってくる。彼女の声を聞けるだけでも、いかに幸せか、彼はそれを、
ほんの僅かな食物を噛み締めるように感じていた。
 せき込んだ後に彼は答えた。
「良いとはいえん。日に日に悪化している。残された時間は、もうほとんどないかも知れん」
 そういう言葉を口に出すのさえ、彼にとっては辛い事だった。病気のせいもあるし、娘が悲し
む声を聴くのも辛いせいだろう。
(お父様)
 シャーリの心配する声を聴くと、彼にとってもそれは重くのしかかった。
 娘のために、何とかもっと生きていたい。自分の欲として生を求めているのではない。彼女の
ためにもっと生きていたいのだ。
「私の心配をするなと言っても、無理な話か。だが、お前だけが頼りだ。ミッシェル達を捕える
事は出来たのか?実験は、どうだったのだ?」
 そんな気持ちを抑え、彼は娘に尋ねる。今肝心な事は、自分の生などではない、娘にやらせ
ている事なのだ。
(お父様のおっしゃるとおりでした。やはり彼女は)
 娘のその言葉だけで、彼はほっとした。
 よし。うまい具合に運び出している。後は自分がそれまで生を保っていられるかどうかだ。
「よくやったぞ、わが娘よ。すぐにでも、彼女を私の元へと連れてくるのだ」
 しかし娘は言ってくる。
(ええ、わたしは彼女がお父様にとって必要な人物だという事は分かりました。ですが、アリエ
ルはなぜ必要なのかが分かりません)
 娘がそう言ってくる言葉を聞いて、彼はせき込む。
「前にも言ったな?それはお前が決める事ではないと」
 だが、娘は彼に逆らい、電話越しに言ってくる。
(それは、お父様が、彼女を知らないからそう言う事が出来るのです!彼女は非常に危険な人
物である事は明白です。わたしも先ほど、彼女に傷つけられそうになりました)
「それで、お前は傷つけられたのか?」
 彼は、自分でもはっきりと自覚できるくらいに、無機質かつ冷たい響きを持つ声で言ってい
た。
(いえ、わたし、ですから)
「ああ、そうだ他のものにはできん。政府の連中でさえ、彼女を手なずける事はできんだろう。
だが、お前なら彼女を押さえておける。だから任せているのだ」
 娘の言葉を遮り、彼は言った。
(はい、分かっております)
 娘は父を怒らせた事でショックを感じているようだ。仕方がない。もともと外部からの感情に
左右される娘なのだから。
「お前には話しただろう?何故、私がアリエルを必要としているのかを。アリエルと、その娘を、
私が生きている内にここに連れてくるのだ。それがお前の使命」
 と言った所で、彼はまた咳きこんだ。今度の咳はかなり激しい。娘を心配させまいと、咳をこ
らえようとしたが抑える事が出来ない。
(お、お父様!)
 娘が、まるで自分がすぐ死ぬのではないかと心配してくる。彼の咳が収まったのは、しばらく
してからだった。
「ああ、ああ、分かっている。大丈夫だ。私は大丈夫だ。お前はすぐに行動するのだ、わが娘
よ」
 と言う事が出来るのもやっとの思いだった。
(はい。心しております。お父様、あなた様の事は、わたしは片時も)
 と娘は言ってきた。彼もそれに応えるように、
「私も、お前をいつまでも愛しているぞ」
 答え、自分から通話をオフにした。これ以上会話していては、娘を余計に心配させるだけだ。
 それに、意味のない行為でしかない。娘にはさっさと行動させなければならないのだ。
 ベッド脇には、秘書がずっと待っている。彼と娘の会話を聞きながら、次の指示を待っている
らしかった。
 それは別に不快ではない。秘書にとっては、彼の身の周りの世話をするのが仕事なのだか
ら。
 彼は耳から通話機を外し、彼に言った。
「手術室の用意だ。いつ娘が来てもできるようにしておけ」
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―Ep#.07 『ヘル・ファクトリー』―

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