コスモス・システムズ Episode03 第3章



《サントン地区》アレクサンドル・アパート
8:54 A.M.

 元々はアレクサンドル・アパートも、富裕層が住む立派なマンションだった。とても一般庶民に
は手が届かない家賃で貸されてはいたが、2040年代のバブル期には、何倍もの倍率が出る
ほどの人気があった。
 金融センターの間近にあり、大企業のビルも立ち並んだ姿は、アフリカ大陸の、世界の新た
な栄華としてもてはやされた。
 しかしそれも数十年と続かず、バブル崩壊や、世界規模の紛争、幾度もの経済危機により荒
廃した。
 マフィアの温床が街の中心部を取り囲み、次々と富裕層は流出。アレクサンドル・アパートは
廃墟となり、マフィアや不法入居者達が選挙した。もはやここにまともな人々が住むことはない
だろう。
 廃墟を象徴する塔とかしたマンションは、《ヨハネスブルグ》の荒廃そのものを体現していた。
もはやここは都市ではない。マフィア達のための都市なのだ。
 荒廃した風洞のようなアレクサンドル・アパートに、一人のカジュアルスーツ姿の男が階段を
登ってくる。彼は前後を黒人の柄の派手なシャツを着た男達に囲まれており、そのまま歩かさ
れていた。
 だが、スーツ姿の男はその黒人達に臆してはいない。堂々と歩いていた。
 やがてこのアパートの上層階のフロアまでやってくると、そこには、抜身のまま銃をズボンに
ねじこんでいる黒人たちがいた。中には女もいるらしく、見るからに派手な服装をしており、マフ
ィア達の女であることは明らかだった。こちらの人種は黒人だけではなく、白人もいたし、ヒス
パニック系もいた。
 フロアの一角に置かれた、このマンションには不釣り合いな豪華な装飾がされたテーブル
で、ウイスキーを飲みながらカード賭博をしている者もいた。彼らも油断なく拳銃を小脇に置い
ている。
 彼、がそのフロアにやってくると、黒人の男達はじろじろと彼の方を向いていた。だが護衛の
仲間たちがついている事を知ると、警戒を多少は緩める。しかし、目線で威嚇をして、ショット
グラスをこれみよがしに煽った。
 カジュアルスーツを着た、その客人は極東アジア系それも、日系人だった。このマンションを
支配している者達からは、明らかに目立つ。
 彼らにとっても珍しいことだった。このマンションに来るのは、そんな平和な国の連中じゃあな
い。
 ただ、金持ちだということは彼らの興味を引いた。
 アジア人の男は、護衛に前後を固められたまま、フロアの中のペントハウスへと足を踏み入
れる。派手な内装であり、そこら中から目立つ布ばかりを集めて、この場に集めてしまったか
のようだ。
 むっとする匂いが漂う。煙草の匂いであたり、他にもただの匂いじゃあない。コカインとかヘロ
インの匂いだ。部屋の中にいる者達も黒人ばかりだったが、目つきがうつろで、麻薬を袋につ
めたりしていた。
 だが、アジア人の男がここに来たのは麻薬などが目的じゃあない。そんなものを、このような
マフィアのアジトで買うなんて危険過ぎるし、命に関わる。今でさえ、前後を銃を抜き身で持って
いる男達に固められているのだ。
 彼はある部屋まで連れて来られた。このペントハウスの中でも最も大きな部屋で、マンション
が売りに出されていた頃は、居間だったのだろう。今では趣味の悪い派手な絨毯や布の壁紙
が有り、全く統一感のない飾で彩られていた。
その部屋の中心で、あたかもこのアパートの主であるかのように大きな机の向こうに座ってい
る男がいた。
スキンヘッドの黒人で全身にこれみよがしに刺青を入れている。更にそこにピアスをたくさん開
けており、それで威嚇をしているようだった。テーブルの上には油断なく拳銃が置かれている
が、綺麗に磨かれた大口径のリボルバーで、彼がこのマフィア組織を仕切る立場であることが
分かる。
 背は対して高くは無い。だが、彼の背後に座って、じっと入ってきた男を睨みつけているのは
大柄な黒人だった。彼も刺青とピアスを入れている。その男がお気に入りのボディガードだ。
 ボスの方の男は、テーブルの前に広げた立体の光学画面を、机の上に靴をのせた姿勢で眺
めていた。その画面はこうした場においては不釣り合いなのか、経済の為替チャート画面だっ
た。
 世界地図や、この『南アフリカ』近郊の地図、ニュースを流している画面もあれば、“純正エネ
ルギー鉱石”と書かれた先物取引の相場を、光学画面に流している。
 ボスの男は、グラスに入れた濃い色のウイスキーを一気にあおり、入ってきたアジア人の男
に向かって言ってきた。
「ハロー、コンニチワ」
 その流暢さにも程がある日本語の挨拶に、アジア人の男は顔をしかめた。
「お前の国の挨拶だろう?コンニチワってな」
 横暴そうな姿勢を崩さないまま、男は続けてきた。
「お世辞はその辺で結構。俺はここにビジネスで来たんだぜ」
 と、アジア人の男は臆さない態度で言う。
 すると、ボスの男はグラスを置き、椅子に座る姿勢になった。
「おっとそうかい。日本人は礼儀正しいが金や時間にうるさいって、今、調べてたんだぜ。何せ
よ、中国や韓国の奴らからはしょっちゅう取引が来るが、日本人なんて初めてなんでな。挨拶
ぐらいさせろよ、えっと、何て読むんだこの名前?オタニっつうのか?」
 まるで人をもてあそぶかのように、そのボスの男は言ってくる。
「大谷だ。社交辞令っていうのがいちいち必要か?出すもの出すんだぜ。ドレッドさんよ」
 そのように日本人の大谷という男は言った。
「なるほどな。でだ。お前らはなんだってこんなものに興味があんだ?平和で金持ちな国じゃ
あ、幾らだってあんだろ?」
 マフィアのボス、ドレッドは、光学画面の一つを叩くような素振りをして言ってくる。
「あんたが、『ソマリア連邦』からそのデータを手に入れたって聞いてね。お互い、政府にバレち
ゃあやばいものだろう?」
 大谷は話を進めた。彼にとっては、無駄な話はいい、何しろこれから手に入れようとしている
ものは、この世のどんなものよりも価値がある。
 ここまで麻薬なんぞを取引しに来たわけではないのだ。
「ああ、やばい。ヤクや銃なんて比べ物にならないほどやばいもんだぜ。オレだってとっととさ
ばきてえ。どうせオレ達にとっちゃあ、無用の長物だからな」
 苦笑いのようなものを見せながら、ドレッドは言う。彼は、自分の目の前に広がっている光学
画面を、画面をタッチすることによって消し、大谷の方に向き直った。
「ああ、そうだな。だからさっさとさばいてくれ」
 大谷は落ち着いた素振りを見せつつも、事を急ごうとしていた。
 だがドレッドはそんな彼をもてあそぶかのようにして言う。テーブルの上に置かれた拳銃を握
り、そのリボルバーの回転を確かめていた。
「『ソマリア』の連中はこれが盗まれた事はすでに知っている。オレ達が盗んだってことは知らな
いがな。だから必死だぜ。何としてでも取り戻そうとする。
 これを世界中の奴らが知ったら事だ。何としてでも取り戻したがるだろうな」
 そこまで言うと、リボルバーのシリンダーを元に戻す。大口径の拳銃には弾が籠められてお
り、いつでも発射できるという状態だった。
 それは威嚇だ。マフィアのボスたるもの、たとえ相手が大統領であったとしても、この態度は
崩さないだろう。
「ああ、だから我々が回収するのさ」
 そのように大谷は言った。
「あんたらは何だってこいつを手に入れたがる?世界中の有力者から狙われるんだぜ。国だ
けじゃあねえ、オレ達みてえな奴らからも狙われる」
 銃口を向けてそのように指図をするばかりで、ドレッドは肝心のものをまだ見せてもいない。
取引をする気があるのだろうか。
「金は払うんだから、それで問題無いだろう?」
 大谷は動じずにそう答えた。こういった連中が求めているものは金だ。人を脅したり、麻薬ビ
ジネスをしたりしているのも、全ては金のためであって、下手に金を失うようなことは絶対にしな
い。
 それにボスがしくじれば、それは彼らの組織においての立場を危うくする。今、ドレッドの背後
から抜身の銃を手にして睨みをきかせている男も、内心はボスの座を狙っているのかもしれな
い。
「ああ、金は貰わんとな。それも、誰にもバレないように貰うぜ。10億南アフリカランド(≒100億
円)だ。オレとしてはもっとふっかけてもいいんだがな。あまり額がでかすぎるのと、取引がバレ
る可能性がある。
 それにこんな危険な買い物ができるのは、お前達だけだぜ」
 そのようにドレッドは言い始め、一つのメモリーを見せた。指先に収まる程度の小さなメモリ
ーで、それは10GBのデータを半永久的に保存することができる。耐圧耐水性にもすぐれてお
り、一昔前のハードディスクに保存するよりも安全だった。
「データは暗号化してあるぜ。解除キーは金をもらってからだ」
 そう言うなり、ドレッドが10億南アフリカランドという価値を示した、データの入っているメモリー
は、テーブルの上を移動して、大谷の前までやってきた。
 彼はそれがどっかにいってしまわないよりも前にといった様子で、すぐに手にした。
「さあ、金を出せよ。口座はここだぜ」
 ドレッドは光学画面をタッチして、それを大谷の目の前へと送ってきた。ピアスやタトゥーで飾
っている割には、慎重な男らしく、しっかりと、自分が提示した銀行口座と、請求金額が画面に
表示されていた。
「分かっている。金は用意出来ているし、いつでも振り込める。だが、銀行の方にも知られない
必要がある。今じゃあ、世界中どこの銀行を通しても金の動きはバレるからな」
 大谷はそう言った。電子取引は、国連金融査察が完全監視をしている。マフィアの金などの
動きは全て把握されており、国家予算を揺るがすほどの大金が動けば、すぐに監視対象とな
るのだった。
 それを避けるならば、紙幣としての現金を用意するという方法もある。だがこちらは嵩がある
し、今の時代紙幣は簡単に偽造されるものとして、多額の取引では敬遠されていた。あくまで、
紙幣は、一般市民が気軽に買い物をする時程度にしか使われていない。
 残る電子取引の方法は、全て監視されているといっても良い。しかしながら、ある方法を取る
ことによって、その監視の目をそむけることができた。
「あんたらは“干渉”が得意なんだってな?あったものを無かったものとしてしまえるってな」
 そうドレッドは言ってきた。
「ああ、この取引も、銀行を経由して金がやりとりされるが、すぐにあんたらの口座に金が移っ
て、取引はなかったことになる。あんたらの口座も、実際のところは、資産が倍だが、動きは見
えない」
 そう言うなり、大谷は電話をあるところにかけた。


「梓は、順調に向かっているのね。しかしよりによって、取引のさなかに、あのマンションに行く
なんてね。せめてアリアだけでも危険から遠ざけてあげたいものよ」
 そのように、《ヨハネスブルグ》から遠くはなれた所にいる、ヘッドセットに繋がれた少女、ヒメ
コは答えていた。
「しかしながら、大谷も重要な役割を担っています。政府の監視を避けて行動するには、彼以
外の適任がいません。上手く行けば、北村梓達を国境を越えさせることもできる。そして、目的
のものも手に入れることができる。一石二鳥だわ」
 意気揚々と、秘書の役割をしているスキンヘッドの男に向かってヒメコは言った。
 だがその秘書の男は、
「しかし危険なことでもあります。北村梓を潜伏させて、国外からの増援を待つ方が安全策か
と」
「そしてその増援がくるのはいつになるの?一日?二日?情報によれば、軍は全力で北村梓
の捜索をしている。国境地帯からの脅威と同時進行でね。
 それに『民族解放軍』が国境を超えてきたら、北村梓にも危険が及ぶことになるわ。よりいっ
そう、国外へと出ることが危険になる。そうなってしまったら?それに…」
「それに?」
 秘書の男がヒメコに聞き返す。
「北村梓が、あの大谷の手助けになるかもしれないってことよ。ヤバい連中との取引にたった
一人で向かっているんだから、無事に終えられれば良いのだけれども」
 と、ヒメコは少し不安げな顔をして言うのだった。

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