レッド・メモリアル Episode08 第3章



 アリエルはただその場から逃げ出すしかなかった。とにかく逃げるしかない。それしか考えら
れなかった。
 アリエルは国道から脱出すると、すぐに森の中へと分け入っていた。森はうっそうと茂る針葉
樹林となっており、家の一つも見つける事が出来ない。
 ここは街からはかなり離れた場所だという事が分かっていた。だが、このまま森の中を進ん
でいったとしても、一体何を見つけることができるのだろう。
 仕方が無い。アリエルはあるものを取り出した。
 それはテロリストから奪った携帯電話だった。さっき、テロリストと戦った時、携帯電話を上手
く奪い取る事が出来たのだ。
 アリエルは携帯電話を操作し、空間に画面を表示させた。携帯電話のサイズは非常に小さ
く、手に収まるほどのものしかない。だが空間に表示させる画面は、はっきりと文字を読み取
れる程度の解像度がある。
 アリエルは、あるネットワークサイトにアクセスすると、素早い操作で地図を表示させた。
 地図は、この近辺のものとなっている。アリエルはあるポイントを地図から見つけようとした
が、見つける事が出来ない。
 シャーリ達から逃げているアリエルは、更に画面を拡大し、より広域の地図を表示させた。
 するとそこには赤いポイントが点滅していた。
 現在位置と表示されているポイントからは大分離れている。距離にしておおよそ50kmは離
れた場所と表示されていた。
 しばらく時間がかかってしまうかもしれない。だが、やるしかなかった。アリエルは即座に携帯
電話を操作して、“リモートコントロール”と書かれている表示を選択した。
 すぐに画面には“実行中”と表示された。
 アリエルはすぐに携帯電話の画面を非表示にし、電源をオフにした。
 携帯電話でネットワークサイトにアクセスし、通信をする事によって、逆探知なんかをされて、
自分の居場所が特定されてしまうかもしれない。だが、今はこうするより他に方法が無いの
だ。
 アリエルは携帯電話の操作を終えると、更に森の深くへと入っていく。とりあえず、GPSが携
帯電話に付いていて、地図も表示する事ができるようになっているから、森の中に入っていっ
ても遭難する事はないはず。
 だが、逆探知をされたら逆効果になってしまう。本当に遭難した時のために使わないでおこ
う。
 アリエルはすぐに携帯電話を自分のポケットに収めた。
 だが彼女は、携帯電話の電池が微弱な電波を発しているという事を知らなかった。



「アリエル。ふふふ、せいぜい逃げていなさい。あなたの居場所はすぐに分かるわよ」
 シャーリは、自分の手にした携帯通信機の画面を見ながらそう呟いていた。
 部下の携帯電話が無くなっている事にはすぐに気が付いた。アリエルは頭の良い娘だ。それ
だけは認めてやろう。だから携帯電話を素早く盗み取るだろうと言う事は、シャーリにも簡単に
想像する事が出来た。
 しかし、アリエルもまだまだ甘い。スパイ映画の一つも観た事が無いのだろうか?携帯電話
は電池さえはまっていれば、微弱な電波は常に発しており、簡単に追跡する事が出来てしまう
のだ。
 部下達が倒されてしまい、今、アリエルを追跡する事ができるのは、シャーリと、レーシーの2
人しかいなかったが、居場所さえ分かってしまえばこちらのものだ。
 シャーリは森を分け入り、素早く移動する。そして、アリエルの姿を見つけて素早くとらえてし
まえばよい。
 できれば殺してやりたかった。それもじっくりと。
 それができると考えただけでも、思わずぞくぞくしてしまいそうなシャーリだったが、踏みとどま
るしかない。
 何しろお父様の命令なのだから。アリエルは必ず彼の元へと連れ帰らなければならないの
だ。
「ねえ!シャーリ!」
 背後からレーシーが言ってくる。彼女はジュール人形のドレスのような衣装を着ていたから、
この森の中ではとても歩きにくそうだった。
 戦闘時になれば、あれほど危険な存在と化すのに、普段はとても緊張感が無く見える。それ
は時にシャーリさえも苛立たせた。
「ついてこれないんだったら車に戻っていな!応援は呼んだんだろうね?」
 シャーリはレーシーに向かって言い放つ。
「呼んだよ。でもすぐには来れないってよ!衛星の追跡もしているけれども、ここは駄目。木で
隠れちゃっていてさ」
 とレーシーはいつもながらの口調で言っていた。
「ふん。携帯電話があれば大丈夫よ。あんたは、さっさとあのミッシェルをトラックの底から引っ
張り出してやんなさい!」
 シャーリはそう言うなり、ショットガンをかつぎながら、先へと進んでいこうとする。
 シャーリ達にとって、任務のそもそもの目的であったミッシェルを、あの場で死なせるわけに
はならない。
 あちらはレーシーにさっさと任せてしまいたかった。
「でもそれってアダになるよ、シャーリ。もしかしたら、携帯電話をその辺に置き去りにしてしま
っている事もあるし、動物にくっつけられたら、動いているように見せかける事だってできるでし
ょう?」
 レーシーが背後から言ってくるが、シャーリには彼女の指摘にすぐに応える。
「さっさと、戻って、あのミッシェルをトラックから助けてやんなさいよ!」
「さっき、事故発生時に使う、圧力測定機っていうので調べたんだけれども…、あのトラックがミ
ッシェルの方に崩れ落ちてくる確率は42パーセント。それでいて、崩れてくるまでにかかる時
間は600秒らしいから、あと、300秒は大丈夫。ここでシャーリと180秒お話して、60秒で戻
って、30秒で救出すれば!あらあら、30秒も余裕ができちゃうわ!」
 レーシーは何とも緊張感の無い声で言うのだった。アリエルが逃げなければ、このままシャー
リも、大切な人質であるミッシェルの救出をしたかったが、このままアリエルを逃がすわけにも
いかなかったのだ。
 このまま引き返して、ミッシェルの救出をするという手も考えられたが、レーシーの計算はほ
ぼ間違いのないものだ。
 彼女の脳と直結している事故発生時に現場で使われる測定機は、レーシーの視覚情報か
ら、事故の程度を割り出す。
 トラックの損傷具合や瓦礫の壊れ方から、下敷きになっている人物があとどのくらい無事で
いられるのか、測定する事ができるようになっているのだ。
 レーシーがあと300秒はミッシェルが大丈夫と言うならば、彼女の言う通り、300秒。つまり
5分は大丈夫なのだろう。
「あのねえ。アリエルにはある目的があるのよ。携帯電話を持っているって言う事は、ナビシス
テムもあるし、あの機能も使えるじゃあない?あの子はバイクが大好きなのよ。この国では買
えないようなバイクも持っていてねぇ」
 とレーシーに言うシャーリは、まるでわがままな妹に言い聞かせるかのように言った。
「そのナビシステムに侵入すれば、アリエルが向かう場所も分かるっていうものよ。多分あの子
は、わたし達から逃げようとするため、バイクを使うはずなのよ。
 たとえ居場所がばれても、あの子はバイクを使ってこの場所から逃げだそうとする。だってそ
れしかないものね。こんな森から逃げ出すためには」
 そのようにレーシーに言い聞かせると、彼女は自分の頭を人差指で指さし、何かを思考する
かのようなしぐさをして見せた。
「と、思ってやっているんだけれどもね」
 彼女の頭の中には、ちょうどシャーリ達普通の人間が見ているような、コンピュータ画面のよ
うな映像が流れているはずだ。
「確かにあるね。ポイントがどんどん動いていて、それを追跡する形になっているみたい。あの
子、ずいぶんこの手の操作をやり慣れているらしくて、細かい座標指定までしてあるみたいだ
よ」
「じゃあ、先回りしてその場所を抑えれば良いだけね」
 とレーシーは言うのだった。
「ああ。もう300秒切っちゃった。早く助けにいってあげないと!」
 ミッシェルは踵を返して、さっさとシャーリとは別の方向へと向かった。その方向には国道が
あり、レーシーの言う通りならば、あと300秒で、42%の確率でトラックの下敷きになってしま
うミッシェルがいるはずだった。



 アリエルはまだ森の中を走っていたが、ここはいくら森の中へと分け入って終わりが無かっ
た。
 一旦国道の方に戻るしかないようだと思い、彼女は方向転換をする。
 バイクがやって来るまで、あと10分。逃げ切る事はできるだろうか。
 心臓が高なっている。シャーリ達には間違いなく自分の居場所がばれてしまっているはず
だ。
 だから、バイクは早く自分の元に来てほしかった。
 シャーリ達が自分の元へと迫って来ているのは、眼には映っていないのにしっかりと感じられ
た。



 シャーリは確実にアリエルに追い付こうとしている事を感じた。
 思わずショットガンを握る力が強まり、興奮している自分を感じている。あんなに可愛い獲物
を仕留めずにはいられない。
 アリエルの事を放っておいて、ミッシェルの救出に専念しろと言われようとも、アリエルを仕留
めてやりたい。
 アリエルを殺してはならないと言うならば、彼女に言う事を効かせてやる方法はいくらでもあっ
た。
 自分は狩人。獲物を仕留める事に、何よりもの快感を感じる事ができる。
 シャーリはその真っただ中にあった。
 携帯端末が表示している位置座標をチェックする。アリエルとの距離はもう100メートルも離
れていない。自分が今いるポイントは、どんどんシャーリの元へと近づいてきていた。今、飛び
込んでいって仕留めてやろう!
 そう思って、シャーリが駆け出そうとした時、突然森の中に携帯電話の呼び出し音が鳴り響
いた。
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