レッド・メモリアル Episode08 第4章



 突然鳴り響いた電話の呼び出し音。アリエルは心臓が止まりそうになった。だが、アリエルが
シャーリの部下のテロリストから奪った携帯電話が鳴ったのではない。別の誰かの携帯電話
が鳴り響いたのだ。
 アリエルは木の陰に隠れながら、自分が走ってきた背後を見やる。すると遠く離れた場所に
誰かが立っている。
 それはシャーリだった。
 彼女が追いかけてきていたのだ。片手にはショットガンを持っており、何とも物々しい姿をして
いる。そして片手には携帯電話を握って誰かと話していた。
「お父様」
 シャーリが再び口走っていた、“お父様”という言葉。その言葉は何度もアリエルは聞いてい
た。一体彼女が何度も口に出している“お父様”とは何者なのだろう?アリエルは木の陰から
顔を覗かせた。



 シャーリは突然かかって来た、“お父様”からの電話に動揺していた。まるで目の前にいるは
ずのアリエルを仕留めてやる事をとがめるかのような電話。
 まさか。“お父様”は誰よりもわたしを愛していらっしゃる。だから、わたしがアリエルを仕留め
たいという事はお父様にも分かっているはず。
 だが、電話に出るなり、“お父様”はすかさずわたしに言ってきた。
(シャーリ、お前は一体何をしているのだ?)
 お父様の声からなぜか怒りが感じられる。そのお父様の口調が、シャーリをひどく動揺させて
きた。
「何を?と申しますと?お父様?」
 シャーリは震える声を隠す事が出来ないままに、お父様に言った。
(レーシーから連絡があったぞ。お前はミッシェル・ロックハートが今、正にトラックの下敷きに
なろうかと言うときに、勝手な行動に出ているとな)
 お父様はそこで咳き込んだ。それでも怒りの声を止めようとはしない。
「そんな、お父様!わたしはただ!アリエルを。あの娘を追っているだけで!」
 シャーリは震える声でお父様に言った。もはやアリエルを追いかけている事など忘れてしまい
そうだ。
(アリエルは、後でいつでも見つけることができるだろう?だが、今差し迫っているのはミッシェ
ルだ!もし彼女を私の元に連れてくる事が出来なければ!
 この計画が一体どうなってしまうか、分かっているのだろうな?)
 お父様は再び咳き込む。それもかなり激しい咳だ。数十秒はその咳が収まらなかった。
「申し訳、申し訳ございません!お父様!」
 シャーリはそのように応えるしかできない。もしかしたら、お父様の言う勝手な行動が、お父
様を追い詰めて、病状を悪化させてしまっているのではないか。そんな懸念がシャーリの中に
生まれた。
(ミッシェルが助からなければ、私の命も助からん)
 やがて咳の中からお父様が言ってきた。
 そのお父様の言葉が、自分の中に何かを思い出させてくる。
 そうだ。こんな事をしている場合ではない。早くお父様の元に戻らなければならないのだ。そ
れも、ミッシェル・ロックハートを連れて。
「お父様。もしかして、ミッシェルが」
 最悪の様相が思い浮かぶ。だが、お父様は言ってきた。
(安心しろ。ミッシェルは無事だ。レーシーが救出したおかげでな。だがお前は戻れ。今はアリ
エルに構っているような時ではない)
 お父様の声が幾分か和らいできている。だが、その声は掠れ、かなり無理をして声を出して
いるということが分かる。
「どうして!まさかお病気が!」
 シャーリは思わず森の中で声を上げた。誰に聞かれてしまっても構わない。今はお父様の事
しか考えられない。
(ああその通りだ。お前の言う通り、病気が悪化している。もういつ危篤状態になっても不思議
ではないようだ。さっきも意識を失っていたよ。医者がいなければ助からなかった)
「ああ、そんな!そんな!」
 シャーリは口では表しきれないくらいの言葉を連呼する。だが彼女のお父様は静かに言って
きた。
(いいか、シャーリよ。悲しんでいる暇などないぞ。お前なのだ。私の命はお前が握っているの
だ。ミッシェルを早く私の元へと連れてこい。それが済んだらすぐにアリエルも探せ。我々の計
画は二人にかかっているのだ)
「はい、分かり、ました」
 シャーリは嗚咽交じりにそのように答えるしかなかった。通話を切りたくない。もしかしたらもう
二度とお父様と会話できないかもしれないと思ったら、とても通話を切る事なんてできない。
 だがシャーリは携帯電話の通話オフスイッチを押して、レーシーが待つ元へと戻らなければ
ならなかったのだ。
(待っているぞ。我が愛する娘よ)
 そのお父様の声を最後に、シャーリはまるで噛みしめるかのように通話をオフにした。
 そして、顔をうつむかせたまま、森を元来た方へと戻って行くしかなかった。



 アリエルはそんなシャーリの姿を離れた場所から見つめていた。
 彼女が何故あんなに泣きながら通話をしていたのか分からない。だが、しきりにある言葉を
連呼していたのが、耳に焼きつくほどだった。
 “お父様”と。
 シャーリの言う“お父様”とは一体何者なのだろうか?
 アリエルには見当もつかない。今朝、シャーリ自身に直接言ってやったように、シャーリの両
親は彼女が幼い時に死んだはずだった。
 だが、シャーリは両親の一人、“お父様”と『ジュール連邦』で再会したと言っていた。
 その“お父様の事を言っているのだろうか?
 シャーリが“お父様”の事を想っているように、アリエル自身も、お母様、つまりミッシェルの事
を想っている。
 だから、シャーリが“お父様”の元に母を連れていこうとするのならば、アリエルも彼女達が何
をしようとしているのか、知る必要があった。
 ここで逃げたとしても、いずれシャーリ達は私の元へとやって来るだろう。そして、母と同じよ
うに自分を連れ去ってしまうのだ。
 アリエルは、シャーリを追わないわけにはいかなかった。だが、このまま歩いて追いかける事
は出来ない。
 それは分かっていたから、今、携帯のナビシステムが示している国道のポイントにまず向かう
必要があった。
 彼女はシャーリとは逆の方向へと駆け出していく。
 今、アリエルには、母親を何としてでも救出したいという、確かな決意があった。そして、シャ
ーリが何故自分達を狙っているのかという疑問が、さらにその感情に拍車をかけていたのだ。



《ボルベルブイリ》『国家安全保障局本部』
9:02 A.M.



 セルゲイ・ストロフは『ジュール連邦軍』からかかって来ていた電話の応対をしていた。
 テロリストを逃してから数日、国内テロ組織の確かな証拠を掴む事も出来ず、ただ卓上での
捜査に明け暮れていたストロフだったが、ここにきてようやく進展があったのだ。
「『タレス公国軍』が、『チェルノ財団』について調べている、だと」
 ストロフは『ジュール連邦軍』の、対外諜報を指揮する大佐からの電話に出ていた、彼のもた
らしてきた情報を知り、ストロフはすぐに目の前にあるコンピュータを使い、大佐が送って来た
メールもチェックする。
 そこには、『チェルノ財団』の帳簿情報が表示されていた。
(どうも、『チェルノ財団』には東側諸国との繋がりがあったようだ。帳簿を見てみろ。この東側
にはまだそんなに金があったのかと、驚くぞ)
「これは」
 大佐が見せてきた帳簿の情報に、ストロフは思わず息を呑んだ。
 ただの帳簿ではない。まず0の数が尋常ではなかった。天文学的ともいえる数字が帳簿には
並んでいる。
 この国の国家予算をも上回る金額がやり取りされている。それも、国内の組織と東側の会社
との間で。
(西側、『タレス公国』の会社は知っているな?《グリーン・カバー》だ。つい二日前に、不正な武
器開発をしていたとして摘発された会社だ。『チェルノ財団』は、この会社と多額の取引をして
いたと思われる)
「厄介な事になったな…。もし『チェルノ財団』が、『タレス公国』側から不正に武器密売をしてい
たとなると」
 ストロフは歯を噛みしめながら言っていた。まさか自分達の知らない間に、これほどの金額が
やり取りされていたなど知らなかった。
(今の我が国と『WNUA』側の現状を考えれば、戦争の危険さえ考えられる。現にこんな金額で
やり取りするものと言えば何だ?戦術核兵器か?生物兵器か、化学兵器か?様々に考えられ
る)
「この情報は、もう『タレス公国軍』が掴んでしまっているんだろう?我々よりも先に掴んでい
る。もみ消しようが無いぞ」
 国にとって不利になる事はもみ消す。それこそストロフの仕事の一つだったが、すでに漏れ
出してしまった情報はどうしようもない。
 しかも漏洩先は他国の軍なのだ。口封じだってしようがない。
(“『チェルノ財団』が独断でやったことで、我々の国は何も関与をしていない”という事が分か
れば、『WNUA』も戦争はしたくないはずだ)
「だが、ここ昨今のテロ活動もある。あれも、もしや『チェルノ財団』がやらせているんじゃあない
のか?」
 ストロフが深刻な面持ちとともに言うと、相手の大佐はすぐに返答してきた。
(その線が濃厚なのは間違いない。だが、『チェルノ財団』に、我が国がやらせているとした
ら?)
「まさか。そんな事があるはずがない。我が国は、東側との戦争は本気では望んでいない
ぞ!」
 ストロフは思わず声を上げて言った。
 隠れて電話をしているわけではない。同じオフィスに勤める部下達が彼の方を向いてきた
が、それはいつもの事だ。
(だが、『WNUA』はそうさせたがるだろう。何かしらの理由を付けて、我が国の責任にするはず
だ。
 もし、東側の国でこれ以上のテロが続いてみろ。戦争を仕掛けてくるのは向こうだ。正義のた
めの報復攻撃から戦争が始まる。今、向こうが仕掛けてこないのは、理由が無いからだ。国民
を納得させる確固たる理由が無ければ、大義名分ある戦争はできないだろう?)
 大佐は言ってきた。だがストロフは苛立ったように答えた。
「それで、俺に一体何をしてほしいと言うんだ?」
 今ではストロフが皆の注目を集めてしまっている、国家安全保障局の諜報部署の内部。彼
は、机を指でたたきながら尋ねた。
(『チェルノ財団』と我が国の政府、軍部に繋がる全ての情報を消せ。今からでも遅くはない。
それと、『チェルノ財団』の捜査は『タレス公国』側ではなく、我々がやるんだ。きちんと捜査をし
てテロリストを暴いたと言う誠意を見せれば良い)
「ああ、言われなくてもそうしておくさ」
 と、ストロフは答えた。彼は目の前に山積みになった仕事を、まずはどれから片付けていこう
かと考え始めるのだった。



 アリエルはバイクに跨り、別のトラックに乗り換えたシャーリ達を追いかけていた。
 さっき、シャーリの部下から奪った携帯電話でナビシステムを呼び出したのは、バイクのリモ
ートコントロールをしたかったからだ。
 シャーリ達のアジトのフェンスの外に、ばれないように隠していたバイク。それをリモートコント
ロールで自分の場所まで戻したのだ。
 西側の国では、このリモートコントロールによって、バイクの紛失や盗難が大幅に減ったのだ
と言う。だが、東側のこの『ジュール連邦』ではあまり普及していない。アリエルが使ったのも、
西側の国のバイク会社のβ版の試用機能だった。
 だが、バイクはきちんとアリエルの元へと届いた。
 どこも傷ついた様子はないし、乗り手を乗せず、単独で走って来る割には操作ミスをして、横
転したりはしない。
 むしろナビシステムに頼った方が、バイクの操作はずっと楽だし、バイクごとの位置情報は常
に把握されているから、交通事故だって起こさない。全自動のバイクを、まるで公共機関の乗
り物のように利用する人だって、西側の国にはいる。
 ただアリエルがそれをしないのは、自分のテクニックを使ってバイクに乗りたいがためだ。そ
して今は、このバイクを自分で操作してシャーリ達を追いかけている。
 シャーリ達はどこへ向かうかは分からなかったから、アリエルはバイクを疾走させて彼女達を
追いかけるしかなかった。
 バイクで1、2時間ほども追跡したころだろうか、シャーリ達を乗せたトラックは、一つの町へ
とたどり着いていた。
 アリエルはバイクのヘルメット内に表示されるナビシステムの地図を確認する。《ボルベルブ
イリ》からおおよそ150km離れた場所の町だ。
 《アルタイブルグ》と名が付いている。アリエルがまだ来た事がない町だった。
 テロリストのトラックは2台。シャーリ達の仲間がやって来て、シャーリと母を乗り換えさせたト
ラックと、護衛のトラックが1台付き、《アルタイブルグ》の町の中を、一定の速度で走っている。
 時速50km。目立ちもせず、騒音も立てない。だがトラックは黒塗りだったし、軍用で使えそ
うなトラックだから、物々しさは醸し出している。
 だが、この町の住民はトラックにさして関心を払っていない様子だった。
 首都《ボルベルブイリ》と同じで、この町も大分荒廃してしまっている。今では『ジュール連邦』
全土の町に、冷たい風が駆け抜けていた。それは不況であり、貧困の風だ。
 シャーリ達は周囲の注意もひかず、《アルタイブルグ》の町をトラックで走り抜け、町の反対側
にやって来た。
 町の中心地からは離れており、再び郊外としての姿が強くなってくる。
 2台のトラックはやがて通りを離れて、郊外の開けた場所に建っているある建物へと向かっ
た。
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