レッド・メモリアル Episode08 第6章



 男は自分のベッドの前に表示された一台のモニターを見つめていた。
 そのモニターには、男の娘が持っている発信機の位置を表示するポイントが示されている。
先ほどまでは《ボルベルブイリ》近郊地帯まで拡大しなければ表示する事ができなかったポイ
ントだが、現在は《アルタイブルグ》の町の地図だけで、娘の位置を確認することができるよう
になっていた。
 男がじっとモニターを見つめていると、病室の扉が開き、そこに彼の秘書が姿を見せた。
「失礼します。お嬢様がもうすぐお見えになるようですが、お出迎えになりますか?」
 と言ってくる秘書。男は彼の方は見ずに呟いた。
「そうしたいが、この体では動く事も出来ん。ベッドごと移動させるのは手間がいるだろう?外
の連中にこの姿を見られたくはないのでな」
 男はそのように呟くと、目の前に表示させているモニターのポイントが、中心にやって来たの
を知った。
 この病院に、ようやく娘が到着したのだ。世界の表と裏ほどではないとはいえ、遠く離れた場
所にいた娘が、ようやく自分の元に帰ってこようとしている。
 病気に蝕まれ、もはや余命いくばくもない体ではあったが、どうやらまだ活力が戻ってきそう
だ。
 娘が自分の元へと戻ってくる。これだけでも立派な特効薬になりそうだ。もちろん、彼女が病
気を完治させることはできない。
 だが、生きる希望は出てきた。娘はそのために必要なものを私の元へと届けに来たのだ。



 シャーリはようやく病院へと戻ってくる事ができた。この病院を訪れるのは、毎日ではなくほぼ
1週間おきくらいに来ることしかできないでいた。
 学校に通う必要があったせいだ。自分がテロリストだと思われないために、上手く普通の女
子高生として振る舞い続ける必要があったのだ。
 だが、もはやそのような事をする必要などない。何しろ、お父様の元に戻ってくる事が出来た
のだから。
 シャーリ達のトラックが病院につくと、トラックの中にいる彼女らは、すぐに救命救急センター
の中から中へと通された。
 そう。救命救急センターから中に入るのが一番いい。
 なぜなら顔を見られずに済むからだ。病院の中には、お父様以外にも病院の患者が多くいる
が、そこへと物々しい武装をしたままテロリストたちがやってくれば人目を引いてしまう。
 だから、救命救急センターから、顔を知っている医師や父の部下達の導きで中には向かった
方が良いのだ。
 救命救急センターに乗り付けたシャーリ達は、ミッシェルを乗せた担架を下ろし、そのまま病
院内へと入って行く。
 ミッシェルは部下に見張らせたまま、シャーリはレーシーと共に、他の患者からは知ることが
できない場所にあるエレベーターを使い、お父様のいる階を目指した。
「ねえ、シャーリ」
 エレベーターの中で、レーシーが不安げな顔をシャーリへと向けてきた。
「お父様は、わたしたちを褒めてくれるかな?良くやったって?」
 と、レーシーが言ってくる。彼女の不安は、その瞳が潤んで震えている事からも明らかだっ
た。
 シャーリは感じていた。この娘がお父様に感じている不安は、自分のものと同じだと言う事
を。
 シャーリ自身も、お父様に褒めてもらえるかどうか不安だった。そして、彼女にとってはそれ
だけが生きがいだったのだ。
「大丈夫よ。きっとお父様は褒めてくださる。だって、あのミッシェルをちゃんと連れてきたんだ
から」
 と言って、シャーリはレーシーをなだめた。
 だが、実際のところ、シャーリは褒めてもらう自信なんてどこにも無かった。自分の感情に逆
らえなかったとはいえ、お父様には勝手な行動を何度も叱責されたのだから。
 やがて、長い時間に感じられたエレベーターは静止し、シャーリ達はお父様の病室がある階
に出た。
 そこは特別病棟で、限られた病人しか入院する事ができない病室だった。
 シャーリ達は面会人の二人を装って通路を歩き、お父様のいる病室を目指す。
 お父様の病室は、他の病室とは離れた場所にある。これも、お父様にしかできない事だっ
た。
 お父様は、この病院を取り仕切る存在でもある。病院の中でできない事なんてない。
 シャーリは、レーシーと共にお父様の病室の前までやって来た。
 入口の前には秘書が一人いる。そして、他の入院患者は知らないだろうが、入口の前の椅
子には護衛もいた。
 彼は黒いジャケットを来て背の高い男だったが、懐に銃を忍ばせている事をシャーリは知っ
ている。
「シャーリ様。お待ちしておりました」
 お父様の秘書も、護衛もシャーリとは顔なじみだった。秘書はそのように言ってくる。
「お父様の容体はどうなの?」
 すかさずシャーリは聞き返す。今のシャーリの興味はそれしかない。すると秘書は顔を伏せ、
まるでシャーリの表情を伺うようにして話し始めた。
「良く、ありません。実は、今日も何度か発作に襲われています。医師の話では脳の腫瘍がど
んどん拡大していて、よく意識があるものだと言っているほどでして」
「お父様。そんな!」
 シャーリは顔を伏せてまるで噛みしめるように言った。
「あなたのお父上が今も生きているのは、奇跡に等しいと。もう一刻の猶予も無いかもしれませ
ん」
 と言って、秘書はシャーリの顔を見つめた。
「お父様に会わせて」
「はい。ただ今」
 と言って、秘書はお父様の病室の扉を開いた。扉を開いた直後から、病室内の電子機器の
一定のリズム音が聞こえてくる。
 病室の中心には、大きなベッドがあり、そこには幾つものチューブに繋がれた、一人の男が
横たわっていた。
 シャーリは思わず口を押さえそうになった。そのチューブにつながれ、まるで枯れ木のように
やせ細った姿こそ、まさにお父様だった。
「あ、そ、そんな」
 生きているのが不思議なくらいだった。最後に会った時、お父様はベッドの上にはいたけれ
ども、まだ体の肉付きはあったし、もっと元気だったはずだ。
「そこにいるのは、シャーリか?シャーリなのか?」
 お父様の声が聞こえてくる。電話で話していた時の声に比べて、かなり弱ってしまっている。
「は、はい」
「お父様?」
 シャーリがお父様の声に答えた直後、レーシーがきょとんとした顔を見せ、シャーリの背後か
ら言ってきた。
 レーシーはお父様がどんな状態でいるのか、良く知らないのだ。シャーリはあえて、幼いレー
シーには何も言わないで来たのだ。
「お父様!」
 レーシーは、お父様の病気の事など知らず、いきなりベッドの上のお父様に近寄った。
 シャーリが泣きそうな顔でお父様の方を見つめている事なんて、まるで気にもしていないかの
ようである
「お、おお…、レーシーか…。見ないうちに、大分、大きくなったな…。シャーリと共に良くやった
と聞いている。良い娘だ」
 本当は手を伸ばし、レーシーの頭を撫でてやりたいのだろうか?だが、今のお父様には手を
伸ばすことさえできない。
「シャーリ。お前もだ。良くやってくれた」
 顔を上げてシャーリに向かって口を開いてくるお父様。だが、シャーリは黙ってお父様に頷く
しかなかった。
「お父様。ご病気なの?」
 レーシーがお父様に向かって言った。
「あ、ああ…。だがな、すぐに良くなる。お前達がミッシェルをここに連れてきたお陰だぞ。私の
病気もすぐに良くなるのだ」
 と、レーシーと自分を安心させるかのようにお父様は言った。
 確かに。それが目的であのミッシェルをここに連れて来たのだ。だから、お父様は必ずご病
気が治るはず。シャーリは自分にそう言い聞かせた。
 しかしそれでも、今目の前にいるお父様の姿を見ていては、とても安心することなどできなか
った。



 ミッシェル・ロックハートが目覚めた時、彼女は自分がどこかの手術室にいる事を知った。
 自分の下に敷かれているのは非常に冷たいベッドだ。しかもベッドなどと呼べたものではな
い。自分は冷たい台の上に寝かされていたのだ。
 それも、いつの間にか手術着のようなものに着替えさせられている。ここで起こっている事は
一体何なのか?それはミッシェル自身にも分からなかった。
 ミッシェルは体を起こそうとしたが上手くいかない。どうやら硬く手術台に拘束されてしまって
いるようだった。
 だが、『能力者』としての『力』を使う事ができれば、この拘束から逃れる事ができるかもしれ
ない。ミッシェルはそう思い、自分の力を集中させた。
 どうせここで自分にされる事はろくでもない事だ。自分はテロリストによって誘拐されたのだか
ら、テロリストの目的に利用されるにすぎない。
 しかし、上手く『力』を使う事が出来ない。
 手はプラスチックバンドによって拘束されているだけだったから、ミッシェルの本来の力さえあ
れば、その拘束から逃れることができるはずだった。プラスチックバンドなど簡単に引きちぎる
事ができるはず。
 しかしながら、プラスチックバンドは引きちぎる事が出来ない。余計に手足に食い込んでしま
うばかりだ。
 その時、部屋に何者かがやって来る物音が聞こえてミッシェルははっとした。
 顔を横に向けてみれば、手術室の扉から、医師の格好をした者達二人が入ってきていた。
 彼らは何かを話している。
「まさか。本当にやるのか?あのお方のお体では、とても耐える事ができない手術になるぞ」
 一人の医師が驚いたかのような声でそう言っていた。
「ああ、耐えられないだろう。これは危険な賭けだ。だが、そのために彼女がいる。彼女の『能
力』を使えば、あの方を危険な手術から生き延びさせる事ができる」
 二人の医師が自分の元に近づき、顔を覗きこませた。
「目が覚めたのか?」
 一人の医師が言ってきた。
「ここはどこ?あなた達は何者?わたしに何をしようとしているの?」
 ミッシェルは立て続けに三つの質問を投げかけた。
 二人の医師たちは台の上にいるミッシェルの上でお互いの顔を見合せた後、ミッシェルに顔
を覗きこませて答えた。
「ここは病院で、私達は医師だ。これから、私達の上司の手術をしようとしている。その為には
君の協力が必要だ」
「嫌よ。誰があなた達なんかに協力するものですか」
 ミッシェルは即答していた。だが、手術のためにここに連れてこられたと言う事は、彼女にと
っても予想外な事だった。
 ここに連れてこられた理由は、もっと暴力的なものだと思っていたからだ。
「何故、私が手術に必要なのよ?」
 とミッシェルは質問する。医師たちは何かの準備を始めているらしく、ミッシェルには構ってい
られないようだったが、彼女は背後から質問を投げかけた。
「自分の、『能力』が何たるものかは知っているだろう?」
 医師の内の一人はミッシェルの方を振り返らずにそう言ってくる。
「あなた達テロリストが使いたがるような『能力』とは違うわ!」
 ミッシェルは声を上げたが、どうやら医師たちは聞く耳を持たないようだった。



「できれば、手術が始まる前に、ミッシェルに会っておきたい。彼女の同意が求められるなら、
その方が良いだろう」
 突然、お父様が言ってきた言葉に、シャーリは驚かされた。
「お父様…。今、何て?」
 お父様が横たわっているベッドに寄り添うようにしていたシャーリは、お父様がゆっくりと口を
開き、言葉を発している姿を目の当たりにする。
 口を動かすことさえ、今のお父様にはとてもつらそうな事だ。
 そこまでして口を開いて発せられた言葉。それは以上に重要な意味を持っている。
「できれば、この手術は同意の元で行いたい。それは医師としての務めだ。どんな手術であっ
ても、同意の元で行いたい」
 だがシャーリは、
「だ、駄目です。お父様。ミッシェルは非常に危険です!彼女は我々に対して敵意を抱いてい
ます。もし、お父様と引き合わせようならば!」
 だが、そんなシャーリの言葉を遮るかのように、お父様は言ってきた。
「なに。彼女と会話をするのは今回が初めてじゃあない。それに、鎮静剤を投与してあるから
手出しはできないようにしている」
「ですが」
 とさらに言うシャーリだったが、
「手術室で構わん。会って直に会話ができるようにしたい」
 お父様は更にシャーリを説き伏せるかのように言い、シャーリはそれに従うしかなかった。
「はい」
 まるで機械の受け答えであるかのような言葉と共に、シャーリは答えるのだった。



 シャーリ達が入っていった、この病院のような建物は何だ?と思いつつ、アリエルはバイクで
建物へと近づいていった。
 最初は無機質な建物で、病院のような何かの建物、としてしか見えなかったアリエルだった
が、近づくにつれ、その建物が本当に病院である事が明らかになって来た。
 病院の名前は、『チェルノ記念病院』というらしい。名前も知らない病院だったが、どこかで名
前を聞いたことがあるような気もする。
 もしかしたらテロリストのアジトなのではないかと思ったアリエルだったが、病院がテロリストた
ちのアジトとはどういう事なのだろう?
 少し考えにくかった。
 だが、シャーリ達が母を連れ去った病院であることには間違いない。病院の中には母が必ず
いるはずだった。
 アリエルはバイクを近くの建物へと停車させ、目立たないように徒歩で病院へと近づいていっ
た。
 病院は、確かに病院でしか無い。カモフラージュしてテロリストのアジトになっているわけでも
ないようだ。
 確かに病院の来院者らしき人物が多くいるし、医師の姿さえ見かける事が出来た。
 病院の裏庭でシャーリ達が乗って来たトラックが停車している事を見つけるまでは、アリエル
もここに本当にシャーリ達が来たのかと、疑ってしまうほどだった。
 アリエルはシャーリ達の乗って来たトラックの周りに、彼女の部下らしき人物がまだいる事を
知った。
 シャーリは間違いなく母を連れてこの病院の中へと入っていったのだ。
 もしかしたら、彼女の言う“お父様”がこの病院の中にいるのではないだろうか?シャーリの
“お父様”が医師なのか、患者なのかは知らなかったけれども、どうやら潜入する意味がありそ
うだ。
 母も間違いなくここにいる。
 そう確信したアリエルは、病院の裏口から、院内へと飛び込んでいった。
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